2011-04-19

我が家と「ボランティアグループあじさい」のこと

大田原市内においても、今回の地震被害を受けている方々がたくさんいます。特に家屋ですが、新築したばかりの家が被害を受けたとか、気の毒なお話があちらこちらで聞かれます。我が家も実は古い家が全壊判定を受けました。幸いにも同じ敷地内にある住居としている家は内部的にはかなりの被害はあったものの外部的にはなんとか持ちこたえてくれました。

 この古い家が本日、完全に引き倒す作業に入ります。作業員の皆さんによろしくお願いしますと声をかけて仕事場にまいりました。雨が降っておりますが、埃がたたなくていいのだといっていました。

 この古い家には私たち家族の思い出がぎっしり詰まっていることはいうまでもないのですが、福祉大学生との繋がりの歴史があるのです。
福祉大学開設と同時に一番先に立ち上げられた「ボランティアグループあじさい」に、この家を解放する縁があり、以来15年たちました。
大学のボランティア活動の歴史を語るときに、第1号として活動をはじめたこのグループは欠かせない存在です。

 開学まもない状況の中、拠点とする部室もないという話を聞き、たまたま空き家状態になったばかりの家を好きに使っていいよと提供しました。
それから15年、あじさいメンバーは見事にこの家を使いこなし、先輩から後輩へと独特の活動形態を創りだしていきました。
合宿や新入生歓迎会、イベント企画に伴う準備等の場所、ミーティング、研修会などにおおいに活用してくれました。みんなで寝る、夜遅くまで語り合う、台所で食事を作り、まさしく「同じ釜の飯を食う」仲間作りが展開されていきました。
そして、大事なイベント「サークルの卒業式」が毎年この家を使って催されていました。この時ばかりは、家中が創意工夫の装飾がなされ、私たち夫婦も招かれての集いでした。
 3月11日、翌日にこのサークルの卒業式(通称 あじ卒)を控えての準備をしていた10名をこえるメンバーが崩れる家の中にいたのです。よくぞ一人の怪我もなく無事でいてくれました。
 家が全壊となったことで、あじさいにとっては活動拠点をひとつ失うことになります。そのことを最優先に考えていくようにというのですが、卒業生も、在校生も私たち夫婦のことを何よりも心配し、心使いをしてくれております。

 このあじさいグループ(毎年会員100名ほど)との出会いは、私がコーディネーターという仕事をする決心をする大きな要因となっています。
ブログで紹介してきた災害時プロジェクトチームも、実はあじさいメンバーが主軸となって動いたのです。15年間公私にわたる付き合いが生まれて、共に食べ、語り合う中で、何か事あるときは、あじさいは旗頭となって動く活動体であってほしいと願っていました。今回その役割を見事に果たしてくれていると思います。

 「家」が生みだしてくれたもの、そこに集う人たちが生みだしてくれたもの、繋がりの育んでくれた豊かさの中にあった幸せを今あらためて感じております。
しかし、ひとつのステージの終わるときでもあります。
「家」と「あじさい」に、万感の思いを込めて、本当に長い間ありがとうと伝えたいと思います。


 被災地の皆さんにも、たくさんの思い出、歴史、生きてきた、生活してきた証の数々があるはずです。それが根底からひっくり返ってしまう出来事の中にあるわけです。
少しずつでも光が射してくることを信じるほかありません。




2011-04-16

国際医療福祉大学災害時ボランティアプロジェクトチームのこと第2弾

しばしの休止状態にあったプロジェクトチームの再開に向けての会議が昨日行われました。今後の動きについて、ひとりひとりが自分には何ができるだろうかという正直な思いを語るところから会議は始まりました。
チームの動きを生みだす中で、このひとりひとりの思いをメンバーがしっかりと受けとめることはとても大事な部分です。このあたりを丁寧に追う姿勢がいいなと思いながら同席しておりました。

 さてチームは拠点をリハビリテーションセンターボランティアセンターから、大学ボランティアセンターに移す形で稼働していきます。3月14日?3月31日までを第1期とし、4月以降を第2期体制としました。
 第1期を立ち上げた学生たちは卒業していき、後を引き受けた学生たちも4年生。実習や国家試験、就職活動等で、フルに動くことは難しくなります。他の学年も平日は授業があるわけですから、プロジェクトの動きは土、日のかたちになっていかざるをえません。通常の各サークル活動の展開もはからなければなりません。そのほかいろいろと出てくる課題はありますが、大学自体が学生のボランティア活動推進をより積極的に進める姿勢がはっきりと出てきました。その背景には国からの通達があることもあろうかと思いますが、福祉大学の場合は、今回の学生たちが自ら生みだしたこのプロジェクトチームの動きが大きく作用していると思われます。

 第2期体制の特徴として、今後は大学、ボランティアセンター(大学・リハセン)、学生が、今まで以上の一体感・連携を取る形で稼働していくであろうということです。
そのコーディネーションの部分は今度はボラセンがしっかりと担うことで進めていくことを昨日の会議で確認しました。
今月23日から、現地での泥出し作業に、大学がバスを出し、教員も一緒に行動するという動きからまずは始まります。

 学生の主体性を尊重しながらコーディネーションしていく?ボランティアコーディネーターとしては心を砕く部分ではあります。
信条として、ボランティア活動者の主体性を引き出すには、コーディネーターはより主体的であらねばならないと考えてきました。「あなたはどうしたいの?」と活動者に聞く前に、自分はどうしたいのかを根本的なものとしてもっておくことが必要です。
特に今コーディネーターとしては、早瀬さんのいう「当事者となる」覚悟をもって、仕事をするときであると強く思っています。

 このブログを読んで下さる皆さんも、きっと何らかの形で頑張ってくださっていることでしょう。長期戦になりますね。頑張っていきましょう。



 



2011-04-03

国際医療福祉大学災害時ボランティアプロジェクトチームのこと

3月14日に急遽立ち上げた国際医療福祉大学災害時ボランティアプロジェクトチームの活動を3月31日に一旦休止。自分のアパートの部屋も地震で乱雑になっているのを後回しにしながら活動した学生たちにとって、4月から始まる学生生活に向けて呼吸を整える時間は必要とみんなで判断してのことです。18日再開を予定しています。
一人の卒業間近の学生が、国際医療福祉リハビリテーションセンターボランティアセンターの私のところにやってきて、その日の内に70名を超えるネットワークをもとにこのチームを稼働。31日の時点では600名を超えていました。学生たちは見事な「コーディネーション力」と「動くチカラ」を発揮しました。
 
 当ボランティアセンターを拠点に、学生のプロジェクトチーム、大学および大学ボランティアセンターがひとつになって活動展開しました。4月以降は、チームは大学ボランティアセンターに拠点を移していくことになっています。
 
 この前代未聞の状況下、コーディネーターの私としては、日々出てくる課題に押し流されそうになりながら葛藤しておりました。今、ここで全部吐き出したい衝動にかられております。でもみんなさまざまな葛藤の渦の中にいるはずで、どう泳ぎきっていくのか、知恵を出しあう気力をなえさせないようにしなくてはと思っています。